3月14日(日)薄曇
心配していた天気も回復しやれやれ。今年は天候不順で困ります。
しかし、季節は間違いなく移っています。
春一番に咲く「さきくさ…ミツマタ」が枯れて残念。
でも「かたかご…カタクリ」は間違いなく蕾をつけております。
今日のミニ講座は
【巨勢山のつらつら椿つらつらに
見つつ偲ばな巨勢の春野を 】
坂門人足
いつものメンバーに加え、久しぶりに近藤先生も参加され賑やかでした。
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2月14日(日)晴れ
立春も過ぎたというのに、かなりの寒さでした。
それでも14名の参加。有難うございました。
先日の松山北高校ダンス部の奉仕のお陰で、苑内は比較的きれいでした。
今日は講座の前に、2月8日にご逝去された立松和平さんの追悼をしました。
立松先生には、昨春、西条市での万葉集1250年記念事業の
スペシャルスピーチの講師としてお世話になり、会員はひとしおの感慨でした。
ミニ講座は
「吾妹子に 逢はず久しも甘美物 阿倍橘のこけむすまでに」
(作者不詳 11~2750)
「安倍橘」は、最近栽培されているのは珍しい。
苑のものは、八木先生の依頼で、元温泉青果農協役員・池ノ上圓氏が
熊本から取り寄せられたものでした。
垂仁天皇の命を受け、常世の国から不老長寿の果を持ち帰った
「田道間守」の話も付け加えた。
この日は寒かったので、会員手作りの「瓢華のチャーシュー麺」を振る舞い
喜ばれました。
寒いといいながらも、よく見ると苑の木々の芽はすっかり膨らんで
春はすぐ目の前の感じです。
「春よ来い 早く来い」
苑内の賑わいが楽しみです。 (藤原 茂)
1月10日(日)
定例(毎月第2日曜日)のこの日は万葉苑恒例の七草です。
今年も良いお天気に恵まれて、
ボーイスカウト松山第16団(代表小島信治)と共催で実施できました。
この日の奉仕者は18名。
男性は苑内の清掃と松飾の撤去や、フジの剪定をしましたが
ご婦人たちは、朝から七草粥などの調理を担当してもらいました。
スカウトは隊員凡そ20名に保護者が加わって総勢40人余り。
スカウトは餅つきが主役で大賑わいでした。
火を焚きもち米を蒸して、杵で餅をつき手で餅まわしする一連の作業は
子供達にはまたとない体験のようでした。
七草粥に焼き餅を入れ、数々の手作りのおかずが揃って
見事な出来栄えでした。
今年も健やかで幸せ多い年でありますようにと願いながら
皆で楽しくご馳走になりました。
なお、この日のミニ講座は梅を詠みました。
「春されば先ず咲く宿の梅の花 ひとりみつや春日くらさむ」
山上 憶良 (巻5~818)
護国神社には縁の「飛び梅」がありますので
大宰府縁の「飛び梅」の話もしました。
また、年の初めに因んで、大伴家持の
「新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいや重け吉事」
(巻20~4516)
も取り上げて話しました。
(藤原 茂)
1月2日(土)
明けましておめでとうございます
元旦に比べて今日は良いお天気です。
朝6時日課のウォークに出ると、昨日見られなかった満月に近い月が煌々と
冬空に輝いていた。今年は珍しく初日の出と満月を同時に拝める予定だったが、
雲が多くて残念でした。
いずれにしても今年もまたよろしくお願いいたします。
ところで今朝は、暮のミニ講座で話しかけた「乳出のいちょう」について補足します。
銀杏には「乳の木」という別名があります。これは古木になると幹や枝に賊に乳房(ちち)
と呼ばれる鍾乳石のような下垂物ができるからです。
また、種皮の汁液が乳状であることも理由の一つでしょう。
これができるのは雄株が多いようです。
県下で有名なのは、「内子町小田・西予市城川・新居浜市瑞応寺・大洲市金竜寺・
松野町蕨生」などのものが、県の天然記念物に指定されている。
苑の銀杏は樹齢不詳。樹高30m余、寝廻り3m余、目通り直径1mで見事な樹形を保っている
ところで、28日の日めくり万葉集の評者は聞き漏らしたと話しましたが、
後で作家の元海軍軍人の阿川弘之さんとわかりました。
なるほどと納得改めて感動しました。
銀杏の花言葉は「鎮魂・静寂・荘厳・長寿」とか。
護国の英霊が鎮座ましますこの深遠に、真に相応しい神木です。
また、お互いの心の拠り所としての「心木」として大切に
したいものです。(藤原 茂)
12月28日(月)
夜来の雨もやんでやれやれ。遅くなるほど天気が回復して作業は順調。
今日の注連縄は県緑寿会会長の井上睦夫さんの手作りです。井上さんには、
かれこれ15年ほど「注連縄作り」の奉仕を受けております。
改めて感謝しております。
今日のミニ講座は「ちち」歌は大伴家持の
「知智の実の父の命 柞葉の母の命 凡ろかに 情尽くして思ふらむ
その子なれやも…」巻19~4164
家持は「防人が悲別の情を陳ぶる歌」をつくっている。
たまたま今朝のNHK「ひめくり万葉集」は評者は聞き漏らしたが、歌は
「父母が殿の後の百代草 百代いでませ 我が来るまで」巻20~4326
で、かつて出征の折の体験を話しておられた。
やはり戦地には新潮版の万葉集を持参しており、
凡そ70年愛用しているとか。父母の家は広島で原爆で被災されたとか。
同じような体験者として感動し、今日の選歌となった。
因みに苑には「ちちの木」(銀杏)があり、神木として注連縄を懸けています。
いずれにしても新しい年が本当に意義のあるよい年でありますように祈っております。
(藤原 茂)