12月28日 万葉苑だより

2024年12月28日

令和6年12月28日(土)

 今日の予報は寒気の襲来で四国も降雪の心配があったが、降るものはなかったが風は冷たかった。参加の皆さんには歳末の慌ただしく寒い中17名の参加真にご苦労さまでした。

 今日はまた三宅浩正県議会議長後援会と万葉苑保存会の合同の参拝の日で、10時から珍しく昇殿しての参拝で感動しました。

 今日はまた年末の清掃と正月準備の日で、各慰霊碑の清掃と榊のお供えは白石さんが、宮内さんと上甲さん、三宅県議が、昨年同様中央の五葉松に囲まれた門松を飾りました。門松と言えば今は青竹の先が尖っているのが普通ですが、宮内さんの資料で本来は尖っていなかったそうです。

 今日のミニ講座は12月8日の奉仕日に忘れていた「おもひぐさ(ナンバンキセル)」でした。珍しい花で苑には砥部から白石さんと採集してきたものがありましたが今ありません。中山の友人に頼んで手配中です。
ところで、最後の紅葉も終わって冬木立になっていましたが、落葉の量も大変でした。

 今年もあと3日、どうぞ皆様揃って良いお年をお迎え下さい。なを、正月明けて1月5日は、七草行事とボーイスカウトとの餅つき大会です。よろしくお願いします。

今日の出席者は、三宅浩正、三宅美香、ウス井一人、竹松慎一、山之内保行、弓場 巌、石水吉一、石水初子、重松美千代、酒井恭子、安永教一、大西健二郎、上甲和由、宮内硬直、河本真孝、白石 豊、藤原 茂 でした。

(藤原 茂)

11月13日 万葉苑だより

2022年11月14日

令和4年11月13日

 今日は珍しく夜半からの雨で白石さんと話し合って奉仕作業は中止。
万葉苑の奉仕作業が雨で中止は殆ど記憶がありません。案の定昼前から日が差し始め午後は晴れてきました。

 今日のミニ講座の予定は「サハアララギ」でしたが来月に送りました。
今日はまた「ナンバンキセル」の播種も予定していましたがこれも順延。

藤原

10月6日 万葉苑便り

2019年10月8日

令和元年10月6日(日)

 昨夕から始まった松山地方祭の最中で、お忙しい中のご奉仕ご苦労様でした。今日は護国神社の秋の例大祭を前にして、苑内や慰霊碑の清掃のため三宅県議グループの奉仕。まことに有難うございました。

 今日のミニ講座のテーマは「みつながしは(かくれみの)」。
「みつながしは」は、集中巻2の90「君が行き日長くなりぬやまたづの 迎へを行かむ待つには待たじ…衣通王」の後註から採られています。
ところが、巻2の85には「君が行き気長くなりぬやまたずね むかへか行かむ待ちにか待たむ…磐姫皇后」があり、古事記、日本書紀、山の上憶良の類聚歌林でそれぞれ説明が異なっています。
ここでは衣通王の歌は松山の姫原の伝説に縁があり、やまたづ(にわとこ)で解説しています。

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今日もまだ「おもひぐさ(ナンバンキセル)」が咲いており、ムラサキは多くの種子を着けて白い実が目立ってきました。
ところで、今日は白石さんと小倉さんから聞いたのですが、万葉苑にも遂に鹿や猪が出たそうです。市内に猪が出たと言うニュースは承知しており、ましてや高縄山系に連なる万葉苑では不思議ではありません。しかし、やはり驚きでした。

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(藤原)

9月9日~10日 万葉苑便り

2019年9月11日

9月9日(月)

 今日は広島県府中市上下町の万葉集研究団体有志の方々25名が、愛媛万葉苑の視察に来苑されました。代表の馬場清さんから予め連絡を頂いておりましたので、お迎えして苑内を案内いたしました。

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 幸い昨日発見した「ナンバンキセル」を紹介し、白い実を結んでいる「ムラサキ」や「ジュンサイ」を見て頂きました。「にぎたつ碑」の前では一同揃って記念撮影もありました。

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 案内の途中いろいろの方からお話を伺いましたが、バスの車中でいろいろ勉強会をされて来られたようで皆さんの博識に感心しました。中でも水上さんは万葉植物の実物見本を持参されており、また別に「ムラサキ」に詳しい方もおられ恐れいりました。
 水上さんの見本「ひし」は苑にありませんので私宅の水槽に挿し木しましたので楽しみです。ともかくも久しぶりに楽しいひと時を過ごしました。
 たまたま松山百店会発行の「松山百点」の今月号に愛媛ゆかりの万葉歌特集があり、隣接の一草庵の記事もありましたので、急遽手配して各人にお配りできました。上下町には「カタクリ」の集団自生地もあるとか、これからの交流を楽しみにしております。

9月10日(月)

 この日は愛媛県遺族会・英霊に応える会共催の「青年部・婦人部合同研修会」が開催され、講師として「万葉集と新元号令和」について話させて頂きました。内容は ①愛媛万葉園の由来 ②元号とは ③改元について ④出典万葉集について ⑤令和について などでした。200名余りの熱心な会員に気圧されながら、なんとか責任を果たしました。いつもながら準備に欲張り過ぎて消化不良気味でしたが、新元号のお蔭で万葉苑や万葉集も世に出て良い機会に恵まれました。

(藤原)